御祈願には、いつでもお参り下さい。門は壊れて開いています(朝8:30~夕4:00ごろまでにお願いします)。
祈願とは、神様や仏様の前で、お願いごとや決意といった心に思っていることを隠さずうちあけることをいいます。
祈願による効果は定かではないのですが、その行為によって、願い事をハッキリともつ、決意を自らの心に焼き付けるという意味はあると思います。
なによりも、心のなかのことを吐露すること(心に思っていることを隠さずうちあけること)はスッキリするものです。
願い事を叶える仏様には観音菩薩様が有名です。
どんな願い事でも聞いて頂けるという仏さまです。
人々の願いというものは、生活を楽にしたい、楽にしてあげたい、病気が治りたい、治したい、試験に合格したいなど、つつましいものです。
願いをお話しすることに気兼ねを感じることはありません。
一乗寺では、過去の観音様はありませんので(参道入口に文化15年、西暦1815年建立の観音様がいらっしゃいますのでどこかに観音様が安置されていたことはわかっていますが)、新たに33観音として仏師 福井照明さんに彫って頂き、安置してあります。
さらには、なにも願い事がなくてもよいと思います。
昔、人々の上に立つ人(将軍や殿様など)には、迷いや愚痴を聞いてくれる人がいませんでした。
そのような人は祈りに長く時間を割くことが多く、
寺社の人は別室に待機していたぐらいですから、テレビや映画のようにしかめっ面で祈っていたというより、ただ心にあるところを話していたように思います。
現代、私たちは家臣のない殿様みたいなものだと思います。 自らの行く末を、自らが決断し行動しなければなりません。 年齢を重ねると、それがより強く必要になります。 それぞれに生活は違い、上司や職が同じといった共通点が無いために、愚痴を聞く方は何のことか想像できませんし、言う方も理解してくれないと思うばかりです。
昔の例に習うなら、仏の前で思うところをお話ししたほうがよいかもしれません。 作法が必要などと、なにも難しく考える必要などありません。 仏様は、あなたの思いを静かにお聞きしていることでしょう。 それも人の姿なのですから。
加持祈祷は、祈祷によって願いが達成できるように祈りながら、さらに加持によって神仏の加護を受けられるようにするという意味です。
個人的な願いや決意を誰かの助力を借りて一緒に祈るということだと考えています。
一人でお願いするより沢山でお願いした方がより効果的だということだと思います。
祈願については祈祷と同じ意味で使われることが多いのですが、ここでは分かりやすくするために、祈願は個人で願いや決意を祈るという意味で使っています。