一乗寺の参道入り口の左側には、天明に建立された地蔵菩薩が建立されています。銘には、
天明五年(1785)正月十四日 西小熊村
と刻まれています。天明五年は、その三年前の天明二年から全国的に冬は南風が吹いて暖かく、夏は長雨が続き綿入れが必要なほどの冷夏で、凶作による飢饉が続いていた年です。
凶作は、天明三年に浅間山が大噴火をし火山灰が空を覆い、天明7年までの5年に及びました。
天明四年ごろから、全国的な飢餓のために農民が流亡し、農村が荒廃しました。
地蔵菩薩には多くの一文銭を挟んで建立してあり、その切なる思いが見え、大飢饉の悲惨さを物語ります。
その悲劇は西日本から始まりました。浅間山の大噴火もあり、冷害が続き、麦は腐り、稲は青立ちのまま実を付けませんでした。 その悲惨さを杉田玄白の「後見草」に
...次第に食尽て、果は草木の根葉までもかてに成るべき程の物くらはずといふ事なし。或ひは松の皮を...
と著されています。 とくに東北地方の餓死者数は、仙台藩だけで40万人、9割の減収という想像を絶する惨状でした。
...食うべきものの限りは食いたれど、後には尽果て、先に死たる屍を切取りては食いし由(よし)、...
その悲惨さは推して測ることができます。
天明の地蔵尊は、悲惨な現状の打開と未来への願いを今に伝えています。
そして、そこから学ぶべきことは多いと思います。
天災は期せずしてやってきますが、事前に蓄えをしていた上杉鷹山(うえすぎようざん)の米沢藩は、飢餓を乗り越えたそうです。
未来を予測すること、情報を伝達すること、失敗を学ぶこと、工夫することの大切さを教えてくれているように思います。